なんでもそうだが、人は失敗して、ようやく身に染みて理解することができる。
ギャンブルも失敗したからこそ、色々なことを学ぶことができた。
最近、先生が願書を出し忘れる、というニュースをみたが、人生の大きなイベントで出鼻をくじかれるのは、とてもかわいそうだと思った。
失敗することは仕方ないことだが、失敗してはいけないこともある。
学校側も悪いが、高校も2時間遅れくらい受け付ければいいのにと思う。公平性などと言うが、願書が遅れたところで公平性に影響がでるようなものではない。ルールにきっちり従い、柔軟な対応ができない。典型的な日本の特徴であり、良い面も悪い面もある。
どうしても遺恨が残ってしまうので、今後は生徒自身が責任を持って願書を出すようにしたほうがいいと思う。
悲劇に見舞われた学生たちは、世の中の理不尽さを理解したであろう。
そう、自分が失敗しなくても、関係するだれかが失敗したら、巻き込まれるのだ。
例えば、旅行に行く時に、友達がホテルの予約をする、となった場合、その友達がホテルの予約を忘れると全てパーなのだ。
失敗しないためには、常に最悪を考えて、自分自身で警戒しておくしかない。
希望の高校に受験できなかった学生たちは、今回のことから柔軟な考えを学び、大きく成長することだろう。言い方はよくないかもしれないが、願書を出し忘れてもらってよかった!と言えるくらいの明るく素晴らしい人生を歩んで欲しい。
2024年3月5日 脱ギャンブル29日目